『16歳 親と子のあいだには』という本を読んだ。編著者の平田オリザさんはまえがきの中でこう言っていた。
幼児期、まず子どもは、「ママ」「パパ」といった単語を覚えます。親のほうは、「しゃべった、しゃべった!」と大喜びしますが、実は子どもは、大きな寂しさの中にいるのかもしれません。 こども3号ははっきり「ママ」と言うようになった。夫や1号・2号のことも「ママ」と言っているようなときもあるけれど、私が台所や洗面所にいるときなどに「ママー!」と呼びながら探しに来ることもあるので、ちゃんとわかっているのだろう。ならばオリザさんの言う寂しさを既に味わっているのだろうが、それは一瞬で通り過ぎてしまい、どんどん新しいことを知っていく楽しみを満喫しているようだ。 オリザさんはこうも言っていた。 本来、コミュニケーション能力=伝える技術というものは、伝えたいという気持ちがなければ身につくものではありません。そして、その伝えたいという気持ちは、伝わらないという経験からしか生まれてこないはずです。 コミュニケーションというものを知っているなら、そのとおりだろうと思う。けれど、やっと自分と他者の区別がつくようになった赤ちゃんは何も知らない。そんな赤ちゃんの場合は、伝わらないという経験よりも、むしろ伝わったという喜びのほうがもっと伝えたいという気持ちにつながっていると、3号を見ていると思う。 3号は、少し前からいろいろな言葉に反応して決まったしぐさをするようになっている。「バイバイ」と言うと手を振る、「いただきます」や「ごちそうさま」で手を合わせて頭を下げる、「もしもし」で手を耳に当てる、「やったー!」で両手をあげるなど。はじめのうちは、犬に「お手」と言うと手を出すのと同じようなものだったのではないかと思う。それが少し進化した。電話がなっただけで手を耳に当てたり、食事の準備ができて椅子に座らせただけで「いただきます」のしぐさをしたりというように、決まった言葉に反応するだけでなく、状況を見てそれに応じたしぐさをするようになった。「バイバイ」は、車のエンジンや玄関のドアの音が聞こえたとき、夫が朝かばんを持ったときなどにやり、それから「たっ」と言う。「行っちゃった」の意味だ。それに応えて私が「そうだね、『もしもし』だね」、「行っちゃったね、バイバイだね」などと言うと、とても嬉しそうにして、そのしぐさを繰り返す。「お手」のように一方通行だったものが、自分から発信するようになり、少しコミュニケーションに近づいたのだと思う。そして、1号、2号のときと同様、3号にもベビーサインを教えているが、やっといくつかのサインを使えるようになってきた。 (つづく)
by roki204
| 2007-08-12 16:16
| こどもたち
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