人気ブログランキング | 話題のタグを見る

おばあちゃん、おつかれさま

祖母が亡くなった。
3号が産まれる1ヶ月ほど前に会いに行ったときは元気だったので、いつか遠からずこういうときがくるとある程度は覚悟していたはずなのに、電話で聞いたときは信じられないという気持ちだった。そして祖母の今までの長い人生と、3号のまだ始まったばかりの人生とを思うと、なんだか不思議な気持ちだった。
私はおばあちゃんとゆっくり話をしたという記憶は、残念ながらあまりなく、最近になって、いろんなことを忘れてしまってからのおばあちゃんのことのほうが強く印象に残っている。おばあちゃんはいつも感謝の気持ちを忘れず、「ありがとう」と周りの人たちによく言っていた。そして、ウィットのあることを言って笑わせてくれた。私も、年を取っていろんなことがわからなくなってしまったとき、あんなふうでいられたらいいなと思うような素敵なおばあちゃんだった。
1号と2号にはどういうことなのかをなるべくわかるように説明した。おばあちゃんは神様のところに行ったんだよ、ひいおじいちゃんと同じところに行ったんだよ。けれど、身近な人が亡くなるのは2人にとって初めてのことで、はっきりとはわからなかったと思う。それでも、なんとなくはわかったようだ。何度も何度も「ママのおばあちゃん、かわいそうねえ」と言っていた。
葬儀には、うちのこどもたちも含め、孫やひ孫たちが大勢集まった。小さい子どもたちはあっと言う間に打ち解けて、キャーキャーと楽しそうに遊んでいた。そんな様子を見て、私は祖父のことを思い出していた。まだおじいちゃんもおばあちゃんも元気だった頃、私たちが家に集まると2人とも嬉しそうにしていた。
「困ったなあ、こんなに増えちゃって。家に入りきらないなあ。はじめはお前と2人だったのになあ」
おじいちゃんはそんなことをおばあちゃんに言ったりしていた。そして、大酒飲みだったおじいちゃんは、私が飲める年になった頃には自分は飲めなくなってしまっていたけれど、いつも「rokiちゃん、お酒飲めるんでしょ、ビール好きなんでしょ」とコップについでくれていた。だから、葬儀の後の食事のとき、おじいちゃんと一緒に飲んでいるつもりでビールを飲んだ。そうすればおじいちゃんとおばあちゃんが喜んでくれるような気がしたから。
最後のお別れをしたときにそっと触ったおばあちゃんのほっぺは、思ってたよりもずっとずっと冷たくて、いくら撫でても暖かくはならなかった。亡くなったことが信じられないという気持ちを一瞬で消してしまうほど、残酷な冷たさだった。でも、そんな悲しい気持ちは楽しそうに遊ぶ子どもたちを見ているとやわらいだ。こんなに増えちゃった子孫たちが集まって楽しいひと時を過ごせたことは、おばあちゃんとおじいちゃんからのプレゼントだったと思う。納骨のときには、今回参列できなかった人たちも来るというので、少々不謹慎だけれど、私は会えるのを楽しみにしている。

告別式の翌日、こども1号に「おばあちゃんはなんで死んじゃったの?」と聞かれたので、「長ーく長ーく生きていたから、もう疲れちゃったのかな。大きいばあば(夫の祖母)よりももっと長く生きていたからね」と答えた。1号は安心したように言った。「じゃあ大きいばあばはまだ生きるね!」 そうだね。まだまだ元気でいてくれるよ。
by roki204 | 2006-10-30 11:25 | 家族
<< こども1号の手紙 健やかに >>