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いろんな林

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これは、ヘビのこんにちは草。
正式名称はマムシグサだけれど、ぺこっと頭を下げているようで、友達が言っていた「ヘビのこんにちは草」のほうが似合っている。
仕事でスギ・ヒノキの山に行ったときにたくさんあった。道沿いにあったので、林内の明るいところに生えるものなのだろう。
この草はめずらしいものではないし、スギ・ヒノキの山もどこにでもある。でも、私が普段行くのは海岸の松林ばかりなので、久しぶりに見たヘビのこんにちは草がかわいくて、仕事中だったのについつい記念撮影してしまった。
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こちらは、ほんとにめずらしいもの。ケヤキの一斉林だ。
公園や街路樹で見かけるケヤキは、よく図鑑などにも書かれているとおり、ほうきを逆さにしたように枝が広がっている樹形がとてもきれい。でも、この一斉林は材を採るためのものだから、なるべく枝が出ないように仕立ててある。見慣れた樹形とまるで違う姿なので、まるでケヤキじゃないみたい。
20年生くらいという年齢のわりにはよく成長している。80年生か100年生くらいになったらいい材になるだろうなあ、なんて気長なところが林業のおもしろいところ。まあ、難しいところでもあるけどね。
仕事で行ったわけではなく、遊びのようなもので、間伐した木を伐って、枝は整然と積み上げて、材の部分は炭焼き用に伐りそろえた。私はノコギリを持っていないので、みんなが伐ったものをせっせと運んだだけだけど。ドイツで散歩した林を思い出させる、明るくすっきりとした林で体を動かすのは気分の良いものだった。

どちらも森林浴でリフレッシュできて、やっぱり松林ばかりじゃなくて、たまには違う林に行くのもいいよなあと実感。
でも、4月に転勤し、海岸林とは縁のない仕事をするようになったら、松林が恋しくなるんだろうな。
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by roki204 | 2009-03-27 01:32 | ひとりごと

大きいお兄しゃん

お風呂に入っているとき、こども3号がお風呂のへりによじ登ろうとしたので、危ないからやめるように言うと

「なんで? ちびちびちびちゃんから(だから)? 大きいお兄しゃんだけ?」

と3号。
まだ自分は「ちびちびちびちゃん(どうして3回も繰り返すのかは不明)」なのかもしれないけれど、だいぶ大きくなってきたぞ、そろそろなんでもできる「大きいお兄しゃん」になったんじゃないか、と思っているらしい。大きいお兄さんであっても、そんなところには登っちゃいけないんだけど。

ちなみに、「大きいお兄しゃん」はとりあえずの目標で、3号が目指すはその先、大きくなって強くなって「耕運機できるようになる」ことだ。

で、「大きいお兄しゃん」にも3号なりの基準がある。3号はいばって言うのだ。

「3号、大きいお兄しゃんから(だから)、たんしゃん(炭酸)飲めるの!」

でも、そんなことを言いつつ、実際に飲むと、( ゜0゜)こーんな顔になっちゃっているちびちびちびちゃんな3号である。
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by roki204 | 2009-03-16 23:31 | こども3号

2号と3号の発表会

毎年恒例の保育園の発表会があった。
去年は出番なしだったこども3号も今年は出演。先生に「お名前は?」と聞かれたら名前を言うというもの。「サンゴウです」って言うように教えたんだけど、本番では
「サンちゃんです」
先生たちにはそう呼ばれているのだ。後で3号に聞くと「サンゴウです」って言ったと言っていたが。まあ、いっか。
その後の手遊び歌とダンスも、泣くこともなくやっていた。実は、朝、出かけるときまで発表会当日だと気づいていなかった3号、今から行ってやるんだよと言うと、やだー!とぐずって、先生にあずけたときも泣いてしまっていたので、舞台の上でも泣いちゃってダメだろうなと思っていた。ところがどっこい、全然平気な顔をしていて、特に楽しそうでもなかったけれど、マイペースでやっていた。さすが3号。

2号は劇で雪の精の役をやるということはわかっていた。その後の調査でタイトルは「北風のくれたテーブルかけ」だとわかった(なので、2号が「八百屋さん」と言っていたのは「宿屋さん」だった)。それで雪の精というとその他大勢だろうなあとあんまり期待はしていなかったのだが・・・。
小さい子向けの劇なので、どれも何かしら教訓めいたものがあり、この話の場合は「心のきれいな人にはいいことがある」というもの。で、最初や最後や話の要所要所で流れるテーマ曲が「心のきれいな人には雪は真っ白できれいに見えるが、悪い心の人は雪は冷たくて嫌なものとしか思えない」という内容の歌(かなり強引、笑)で、それに合わせて歌い踊るのが雪の精なのだ。数人いる雪の精の中でも2号は真ん中で、一番目立つ位置。去年は左足しか上がっていなかったスキップも、今年は両足がちゃんと上がるようになっていて、よく弾むボールのようにリズミカルに踊っていて、白と水色の衣装もよく似合っていて、とてもかわいかった。
ほかには着物を着てやる踊りもあった。数日前に保育園まで送って行ったとき、先生に呼び止められて「2号ちゃんは着物が本当によく似合っていて、すごくかわいいので楽しみにしていてください」と言われたほどなので、本当にお人形さんのようにかわいかった。

かわいそうだったのは1号。仲良しのなっちゃんと一緒に観に行くことをずっと前から楽しみにしていたのに、インフルエンザになってしまったのだ。2号が発表会2日前に溶連菌にかかってしまったものの、抗生剤を飲んで24時間たてば人にうつるおそれはなくなるとのことで、発表会には出られるねとほっとした直後のことだった。発表会後には2号にもうつり、小学校でも流行っているそうで午後の授業を取りやめたりもしている。
1号は残念だっただろうが、よく我慢して、ばあばと留守番しているからママたちは観に行っていいよと言ってくれた。そんな1号におみやげを買って帰ろうと言う2号の優しさも嬉しかった。
来年はもっと体調管理に気をつけて、みんなで観に行こうね。
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by roki204 | 2009-03-13 01:29 | こどもたち

父からの手紙

父から手紙が届いた。私が父へ送った東京新聞の切抜きの感想と、朝日新聞に載っていた写真のコピーだった。
写真は、ウォール街で赤い帽子のタファネルに似たひげもじゃじいさんがフルートを吹いている前を、厳しい表情のビジネスマンがうつむき加減で通り過ぎていくもの。とてもいい写真だ。
これを見てすぐに父は私に送ろうと思ってくれたそうだ。でも、私はと言えば、ここ半年以上もフルートにはご無沙汰だ。去年の夏の初め頃には、朝練と称して目覚まし代わりに吹いていたけれど(タファネルの17のメカニスム日課大練習をやっていた)、そう長くは続けられなかった。
写真を評して父が言うような「外側からゆるがされたりしない確固たる赤帽男の内なる世界」などというものは、私にはとても表現できない。それどころか、いつも自信がなくてふにゃふにゃしていて、まるでちびまる子ちゃんの中野さんみたいだった。それでも、写真を見ているうちに、またフルートを吹きたくなってきた。

父からの手紙には、こどもたちへの手紙も同封されていた。問題はこの手紙だ。
もうすぐ2年生になるこども1号に、2年生になったら自分のパソコンをあげる、2号にも2年生になったらあげる、3号にも、と書いてあったのだ。1号はすっかりその気になって、こないだまではあんまり2年生になりたくないと言っていたのに、早く2年生になりたいと言い出した。
こどもたちの目当ては、ネットでできるしまじろうやラブ&ベリー(古い!)のゲーム。実家に帰ったときは少しやらせているこれらのゲーム、うちのパソコンではできないということにしてあるのだ。父のパソコンをもらったら、うちでもできると思っているのだろう。
それはちょっと、お父さんと相談してみないとねえ…と私が難色を示すと、2号が言った。

「おじいちゃん、ロクなこと言わないね。こないだも3号の前で『つまようじは食べられるんだよ』って言ってたし」

ついさっきまでパソコンを楽しみにしていたくせに、こういうときには変わり身の早い2号の太鼓持ちっぷりには笑ってしまうが、5歳の孫にまでこんなこと言われてしまうお父さん、少しは自重してください。
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by roki204 | 2009-03-04 23:55 | 家族

『北の彩時記 アイヌの世界へ』

大学の実習で山を歩いていたとき、一人がそばにあった木を指差して言った。
「あ、“タラの芽の木”だ!」
それはつまり正式名称をタラノキという木。普通はタラノキなんて春に芽を採って食べるだけで、トゲトゲの枝なんかにあまり用はない。だからといって、“タラの芽の木”なんて言ったんじゃあ、本体であるところのタラノキの立場がないじゃないかとみんなで大笑いした。
ところが、こういう呼び名はアイヌ語と同じということを、『北の彩時記 アイヌの世界へ』(計良光範著、コモンズ)を読んで初めて知った。
例えば、サクラ。アイヌ語では、サクラの皮を「カリンパ」、サクラの木を「カリンパニ(桜皮の木)」、サクラの実を「カリンパニ・エプイケ(桜皮の木の実)」と言う。分類学上の種に対しての名前ではなく、アイヌにとって一番重要な樹皮に付けた名前があり、あとはその木、その実という具合。花にいたっては、「花」という一般名詞で呼ぶだけで、「カリンパの花」とも呼ばないそうだ。
ほかのものも、根っこや葉や実など、食用にしたり、道具作りに使ったりするような役割を持つ部分に対して、それぞれ名前が付けられているだけで、種ごとの名前というものがない。
そして、クマの名前は、「山の神」、「長老の神」、「我ら狩りとるもの」などなどの呼び名のほか、オスとメスでももちろん違う呼び名があり、年齢でも呼び分ける。地域による違いも含め、知里真志保博士はクマのアイヌ語名を83例も記録しているそうだ。驚いたのは、前足の長いクマと後足の長いクマもそれぞれ名前があるということ。射そんじて追いかけられたときは、前足の長いクマだったら山の上の方へ、後足の長いクマだったら山の下のほうへ逃げれば助かると言われているそうだから、身を守るために必要があって呼び分けていたのだろう。
このような言葉や、動物は神が姿を変えて人間の国に来たものだという考え方(だから毛皮と肉を人間がいただいた後、魂を丁重に神の国へ送り返す儀式を行う)から、アイヌが多くの自然の恵みを受け、自然に感謝しながら共生していたということがわかる。
和人がアイヌに対してやってきたことといえば、収奪、奴隷労働の強制、分断支配、同化政策…。心が痛む話ばかりだ。この本では、まえがきに「歴史的に過酷な生を強いられてきたアイヌを知ってほしいという思いと、それだけではアイヌの一部しか知ってもらえないという危惧」があり、「もっと楽しい世界があるんだよなぁ~」と思っていたとあるとおり、「過酷な生」については少し触れている程度で、アイヌの楽しい世界のことがたくさん描かれている。だからなおのこと、違う文化を持つ人々を尊重することなく、奪い、同化させ、支配しようとしたことを悲しく思う。
2007年に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択され、賛成したものの及び腰だった日本政府も2008年にはアイヌは先住民族であると位置づけた。まだ課題や困難の多い道の途上であるけれど、アイヌもほかの先住民族も、民族としての誇りと権利を取り戻せる時代が来たのだと信じたい。
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by roki204 | 2009-03-03 00:43 | 本や映画