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思い出し笑い

じいじがトラクターを買った。
トラクターが届いたのは2週間ちょっと前。じいじは喜び勇んで試運転!・・・・・・ところが、なぜかエンジンがかからない。おかしいなあとじいじはあちこち見てみたけれど、やっぱりエンジンはかからない。しかたなく農協さんに電話して聞いてみると、じいじが手順をまちがえていたことが判明。正しく操作したら、無事エンジンがかかって、めでたしめでたし。
これは、こども1号が話してくれたこと。その場に居合わせたのは1号だけだったので、後で「今日、おかしかったんだよ!」と教えてくれたのだ。この話、見事に3号のツボにはまったらしい。その日から毎日のように

「じいじ、おかしいねえ。『あれ、エンジンかかんない』だって!」

と何度も繰り返し言っては、キャッキャッと笑っている。
でも、聞いてるほうにとっては、そんな3号がじいじよりもよっぽどおかしいんだけどね。

そしてこないだは、別のことを思い出して笑っていた。
これまた2週間ほど前のこと、私の母が来ていたときに、みんなで海に遊びに行った。靴と靴下を脱いで、波打ち際で足だけパチャパチャ。そのとき、母が波に足を取られ、見事にスッテーンとしりもちをついたのだ。当然、ズボンだけでなくパンツもぬれてしまった。
そのときのことを突然、思い出したらしい。

「じゅぼんも、ぱんちゅも、ぬれちゃったねえ」

とケラケラ笑っていた3号。
でも、そのとき、「着替えなんて、3号のオムツしか持ってきてない」、「3号、パンツ貸してよ」などと冗談を言った後で、まだ帰りたがらない1号と2号を説得して、ようやく駐車場まで行って車に乗り込んだとき、3号がおもむろに自分がはいていたオムツを脱いで「はい、どうじょ!」と母に手渡したことのほうが、もっとおかしかったんだけどね。しかも、母には使用済みを渡しておいて、自分は新しいのにはきかえていたしね。
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by roki204 | 2008-10-30 23:50 | こども3号

ミニーちゃん

今年のディズニーランドのハロウィーンはヴィランズが主役らしい。今までだって怖がって絶対に行きたがらなかったのだから、ヴィランズとなればなおさらだ。こども3号も「ハダンジ、怖い」と言って嫌がっていた。
なので今年もハロウィーンが終わるまでは行けないのだが、自分たちが仮装する保育園のハロウィーンでは、うちのこどもたちはいつもディズニーのキャラクターになる。
2号は、1号のおさがりのオーロラ姫のドレスを着ることにした。ピンクでひらひらのロングドレスを着ると、しぐさや表情までがおしとやかになるのが、かわいくて、微笑ましくて。2号はとても嬉しそう。
さて、3号はどうするか。2号が去年と同じティンカーベルのドレスを着るなら、ピーターパンにすればおもしろいかなと思っていたけれど、2号はオーロラ姫。単独ピーターパンはちょっとわかりにくいし、オーロラ姫と並べてフィリップ王子、なんてもっとわかりにくいし・・・。
ねえ、3号、何になりたい?

「ミニーちゃん」

え?ミッキーじゃなくて?
写真や絵を見せて何度も確認したけれど、やっぱりミニーちゃんになりたいと言う。
そのうち気が変わるかも・・・と思っていたけれど、運動会の前日におもちゃを買うことになったとき、3号が選んだのは、このミニカーのオートバイ。
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ミニーちゃん仕様でとってもラブリー。ミッキータイプのや、3号のお気に入りの白バイも
あったのに、どうしてもこれがいいと言って離さなかった。こりゃミニーちゃんになりたいってのも本気だな。

というわけで、3号はミニーちゃんになった。
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黒Tシャツに黒スパッツ、その上に花柄ワンピース。仕上げにディズニーランドで買ったミニーちゃんのカチューシャ。これを普通に女の子がやったのだったら、たいしておもしろい仮装ではなかっただろうけれど、男の子の3号がやったので、かなりウケがよかった。
みんなにかわいいと褒められて3号は大満足。得意気な様子で、家に帰ってからもなかなか脱ごうとしなかった。ガンダムのTシャツ着せてあげるからと言っても脱がず、ご飯食べるときに素敵なお洋服が汚れちゃうよと言ったら、やっと脱いだのだ。相当、気に入ったらしい。

最近の3号は「きんようび」という言葉が気に入っていて、毎日のように「あした、きんようび?」と聞いてくるのだが、今日は「あした、ハロウィーン?」と聞いてきた。
残念ですけど、明日はもう保育園にミニーちゃんの格好では行けないよ。とてもよく似合っていたので、ママもちょっと残念な気もするけどね。
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by roki204 | 2008-10-26 23:22 | こども3号

朝顔 その後

いつの間にか散らばっていて、勝手に芽を出していた朝顔が、いつの間にか勝手に育っていて咲いた。
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芽を出したときにはおもしろがって水をやったこどもたちだけれど、それも1回だけ。その後はずっとほったらかし。でも、けっこうきれいなグランドカバーになっている。朝顔ってほんとにたくましい。

そういえば、先月、仕事ででかけた先でも朝顔を見た。2階の部屋で、窓の外に朝顔があったのだ。窓の上まで張ってあるひもに巻きついて伸びていた。てっきり、ドイツとかスイスとかのきれいな街並みの写真でよく見かけるように、2階の窓のところにプランターをつけてあるのかと思いきや、下の地面からずーっと伸びてきたものだった。原種に近い品種だからじゃないかなとそこの人は言っていたけれど、朝顔ってほんとにたくましい。

来年もほっといたら、庭中朝顔だらけかな。
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by roki204 | 2008-10-23 00:35 | ひとりごと

味噌とマヨネーズ

朝食と夕食に、ほぼ同じ材料を使った炒め物を出したとき、こども1号がおいしいとパクパク食べながら言った。

「これにタケノコを入れて、マヨネーズを入れたら、朝ごはんと同じだね!」

(((( ;゜Д゜))) えっ? マヨネーズ
朝の炒め物は味噌で味付けしたんだけど・・・。

でも、味噌とマヨネーズを「だって似てたんだもん」と言ってのける、とほほな味覚の持ち主1号も、別のことでもっと素敵な感覚を持っていた。

夏休みに行った旅行の話をしていたとき、1号が「また同じ温泉に泊まりたい」と言った。貸切風呂を気に入っていたし、子ども用のかわいい浴衣もあったからかなと思ったら、理由は全然予想もしなかったことだった。旅館のおばさんが優しかったから、と言うのだ。
確かに、仲居さんは気さくで人が好くて、こどもたちの名前もちゃんと覚えていろいろと話しかけたり、相手をしたりしてくれていた。ただ、2号、3号はおもしろがっていたようだけれど、内気な1号はにこにこ、もじもじするだけで、たいして話もしていなかったし、むしろあれこれ話しかけてくるような人は苦手かなと、ちょっと心配になったくらいだった。その1号がそんなこというなんて意外だなあと思いながら聞いていたら、1号が続けて言った。

「3号が転んでテーブルに足をぶつけて、青なじみができて泣いちゃったでしょ。その後で、遅くなっちゃったけど貼ってあげてくださいって、お熱が出たときにおでこに貼る冷たいのを持ってきてくれて、優しかったでしょ」

そういえばそうだった。そんなこと、私はすっかり忘れていたけれど、仲居さんは冷却シートをわざわざ持ってきてくれたのだった。
小さなことでも人の優しい気持ちに気がつくこと。それに対する感謝の気持ちを忘れないこと。そんな大切なことを1号に教えられて、素敵な子になってくれたと嬉しくなった。
そういう感覚はこれからも持ち続けてほしい。ついでに味覚ももうちょっとマシになるといいんだけどなあ・・・。しっかりしてよ、1号さん!
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by roki204 | 2008-10-21 01:26 | こども1号

『カチアートを追跡して』

ティム・オブライエンの『カチアートを追跡して』を読んだ。ヴェトナム戦争の戦場から、パリへ行くと言って突然消えてしまったカチアートを追跡するという物語だ。
ヴェトナム戦争に従軍したオブライエンの作品なので、戦争がいかに悲惨で愚かしいかということは、もちろん伝わってくる。凄惨な場面でもコミカルとも感じられるような描き方であることが、実際そんなふうに感覚を麻痺させなければ耐えられなかったということだろうかと思えて、かえって怖くなってくる。でも、教訓めいたことを声高に主張しているというわけではない。
また、登場人物たちもそれぞれがそれぞれの考えを持っているが、誰が正しいとか、こうでありたいとか、そんなメッセージが強く感じられるわけでもなく、逆に、情けないところがあってもしょうがないじゃないかというような開き直りというのでもない。
ある登場人物に言わせている「兵士というのはひとりひとり違った戦争をしている」というのが、オブライエンのスタンス、ということだろうか。とは言っても、「見解だの認識だのがどうであれ戦争は戦争」であり、「独自の現実ってものがある」のだが。
それでいて、というか、だからこそ、なのか、読み始めたらぐいぐいと引き込まれてしまった。事実と可能性、不幸から逃げることと夢を追うことの違い、義務、恐怖、勇気さえあればできたこと・・・。何かのメタファーかと思うものもあるけれど、だいたい、8600マイルも離れたパリへ向かって歩いて行ってしまったカチアートとそれを追う第3分隊というロードムービー風の設定自体が荒唐無稽だし、何のメタファーかなんてこと詮索するのも野暮だと思うくらいに、この小説の世界にどっぷりはまって、夢中になって読んでしまった。

ところで、少し前に『ハロー、僕は生きてるよ。 ~イラク激戦地からログイン』のことを書いたときに著者を勇気ある人だと書いたのだが、「勇気」という言葉で表現するのは適切だろうかという迷いがあった。
『カチアート~』では「勇気」についてこう書かれていた。

問題は、言うまでもなく勇気ってやつだった。いかに振舞うべきか。逃げる、戦う、手を結ぶ、どれだっていい。が、要は恐怖を持たないことではなく、恐怖をうまく飼い馴らしながら賢く行動することだ。腹の中に溜まった胆汁を吐き捨てて恐怖を自覚すること、それが本当の勇気なのだ。

やっぱり『僕は生きてるよ』の著者は、勇気ある人だと思う。思うけれど、「勇気」って何なのか、はっきりとわかっているのかというと、わかったような、そうでもないような・・・。
そもそも「勇気」って何だろう?と気になりだしたのも、オブライエンを読もうと思ったのも、jukaliさんのせいだ。「勇気」なんてエリック・ホッファーのときからだ。jukaliさん、なんとかしてくれと言いたいところだけれど、おもしろかったから、まあいいか。というわけで、オブライエンにハマってしまった私は、今度は『ニュークリア・エイジ』を読んでいる。
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by roki204 | 2008-10-19 01:11 | 本や映画

こども2号と3号の運動会

こども2号と3号の保育園の運動会があった。

観られるのが恥ずかしいという1号とは違い、みんなに来てほしいという2号。それで私の両親も観に来てくれた。運動会そのものだけでなく、みんなが来てくれたというのが嬉しいのだろう、2号は本当にいい表情をしていて、にこにこしながら参加していた。
かけっこでは3人中3位、長靴を履いて傘を持って雷様につかまらないようにしていく競走では、雷様が怖くてなかなか進めず2位。でも、ダンスでは観客席の1号たちやビデオを撮っている私に手を振る余裕も見せ、最高の笑顔で楽しそうに上手に踊っていた。
3歳児以上は保護者と離れ、園児席に座っている。近くに行ったときにそっと様子を見ていたら、2号は後ろの席の年長の女の子と何やらもめていた。どちらもお互いの主張を譲らず、物別れに終わったようだったけれど、ケンカらしいケンカにはならなかった。友達とのもめごとは1号相手のときの遠慮のないものとはちょっと違うみたい。そんな様子を見ることができたのもおもしろかった。

3号は初めての運動会。いつもと違う雰囲気に怯えてしまい、私にしがみついているのでずーっと抱っこ。唯一、1人で参加しなくてはならないかけっこでは大泣き。でも、ママを捜して必死で走ったので1位でゴールしたのにはみんなで大笑い。その後の私と一緒に参加の親子競技では、抱っこではなく自分で歩いて参加でき、ダンスでも少しは踊れていた。動物のまねをしての競走では、わたしたちはペンギンになることに。でも3号はなぜかつま先立ちでちょこちょこちょこ・・・。これがおもしろかったらしく、家に帰ってから何回も「ペンギンしゃん、やったねー」と言っていた。

そんなふうに、2号も3号も自分の持ち味を出してがんばっていた。1号も自分が出るわけではないのでリラックスして観戦。2号と3号の応援をしたり、1号と同じく弟や従兄弟を観に来ていた卒園児の友達と遊んだりして、それぞれが楽しい一日を過ごした。

さて、先月あった1号の小学校の運動会と保育園の運動会の違いといえば、親が参加するということだろう。小学校でも保護者の綱引きはあったけれど、その一つだけ。保育園では保護者競技も、親子競技もたくさんある。というわけで、私もいろいろ参加したのだが、今年は保護者競技の中でも最も恐れられている競技に参加する羽目になった。流血騒ぎにならなかっただけ去年よりはマシだったけれど、かなり白熱したバトルを繰り広げた。それなのに結果は引き分け。みんななんとなく不完全燃焼。で、「来年もやろう!みんなでおそろいのTシャツも作ろうよ!」なんて話にもなったりして。
そんなこんなで保護者同士の結びつきもできるから、和気あいあいとした雰囲気になる。すごく疲れて、ひどい筋肉痛にもなったけれど、私にとっても楽しい運動会だった。

かわいそうだったのは夫。地元の役員をやっていて、そっちの仕事があったので、運動会を観に来られなかったのだ。夫は前日に「お父さんは明日観にいってあげられないから、今日は何かおもちゃを買ってあげるよ」と言い、1号と2号にはプリキュア関連のものを買ってあげていた(3号には成り行きで私が買ってあげた)。
もちろん、こどもたちは大喜び。でも、運動会に来てもらえないということに関しては、こどもたちは「お仕事なので仕方がない」とあきらめていたせいもあって、「やっぱりお父さんはプリキュアが好きだから、プリキュアのおもちゃだと買ってくれる」と思っていた様子。お父さんのせつなさは、いまいちわかってもらえず、ますますかわいそうな夫なのであった。
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by roki204 | 2008-10-17 01:09 | 家族

アシダカグモの観察記録

このブログで何度か話題にしているアシダカグモ。個人的には「千葉県のクモ」に指定してもいいんじゃないかと思うほどおなじみのクモだが、今年の春から夏にかけてはあまり見かけなかった。ゴキ○○もあまり出てこなかったので、餌を食べつくしたので出て行ったということだろうかと思っていたら、夏の終わり頃からよく見かけるようになってきた(ありがたいことに見かけるようになったのはクモだけで、餌のほうは出てこない)。しかも、すっかり成長して、今まで見た中でも一番大きいんじゃないかと思うほどのサイズだ。
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靴のサイズは17センチ、床のタイルは14センチ角なので、比べてみればその大きさがわかるだろう。
この写真を撮ろうとしていたとき、はじめこのクモは壁を歩いていた。でも、それでは大きさを比べるものがない。なので私が傘などを使って追い回して床に下ろし、靴も一緒に写せるようにそばに置いたりして、バタバタやっていた。
すると、あんまりうるさくてうんざりしたらしい。おもむろに足を横にいっぱいに広げて、じっと動かなくなった。
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「秘技、壁のふり!」といったところだろうか。もう私が傘を振り回そうが、靴で床を叩こうが、まるっきり無視して微動だにしない。「フッフッフ、どうだ、どこに隠れたのかわからないだろう、手も足も出まい」と威張っているような雰囲気。
いや、でもね、その体勢になるのをずーっと一部始終見てたし、そこにいるのははっきりとわかるんですけど・・・。
こんな技も持っているんだと感心したけど、ちょっと抜けてる感じもしておかしい。

ところで、クモは脱皮をして大きくなっていくものなので、当然うちのクモたち(たぶん1匹じゃなくてもっといるだろうから「たち」としておく)も脱皮をしている。抜け殻もいくつか見つけたことがある。それが、不思議なことにトイレに落ちていることが多いのだ。クモ本体はトイレで見かけることはほとんどないのにも関わらずだ。
抜け殻は、こどもたちも私も最初に見たときはクモの死体かと思ったほど、きれいにクモの形のまま脱ぎ捨てられていた。トイレには脱皮をするのにいい条件がそろっているのだろうかという謎を解明するためにも、脱皮をするところも観察してみたいものだ。
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by roki204 | 2008-10-09 23:05 | 千葉のあれこれ

『ハロー、僕は生きてるよ。 ~イラク激戦地からログイン』

こどもだった頃、とても好きで何度も繰り返し読んだ本の中の一つに『ちいさいモモちゃん』がある。私は途中までしか読んでいなかったのだが、モモちゃんシリーズは6巻まであると知って、自分でも読みたいし、こどもたちにも読んであげたい、というわけで買い揃えた。こどもたちもとても気に入って、毎晩リクエストするので、3巻まで読み進んだ。
モモちゃんシリーズは、かわいらしい話やおもしろい話だけでなく、重苦しいテーマの話もあって、大人になった今はこどもにこんな話がわかるのかな?怖がっちゃうかな?と思うのだが、1号も2号も嫌がることもなく聴いている。考えてみればこどもだった私も、こどもなりにいろいろ感じながら読み、気に入ったからこそ繰り返し読んでいたのだろう。
そんな重苦しい話の一つに、戦争の話があった。テレビで戦争のニュースを観たモモちゃんは、ママに不安を訴える。戦争はおうちまでくるの?こわいよと泣きじゃくるモモちゃんに、遠いところだから来ない、もし戦争がそばまで来たらだめって怒るからとママは言い聞かせるのだが、モモちゃんは言う。

でも、どこかでしているんだよ、それなのに、だめ!ってママ、いわないの?はやくいわないとみんなしんじゃうよう。

これには頭をガツンと殴られたような気がした。
もし、こどもたちに同じことを聞かれたら? ちゃんと、だめ!って言ってるよと答えたい。でも、ほんとに、ちゃんと言っている?

そんなことを考えながら読んだ本が、『ハロー、僕は生きてるよ。 ~イラク激戦地からログイン』(著者/カーシム・トゥルキ、編訳/高遠菜穂子・細井明美、大月書店)。
この本は、モモちゃん風に言えば、自分の国、自分の街、そして自分の家まで戦争が来て、巻き込まれてしまったイラクの若者が書いたものを、遠くだから大丈夫、自分には関係ないと知らんぷりするのではなく、だめ!って言っている人たちが翻訳して作られたものだ。
内容はタイトルのとおり、イラク激戦地で暮らす著者が英文で発信していたブログやメールをまとめたもの。そこに書かれていること、報道されることがなかったイラクの実情は、読むことすら辛いと感じるものだった。
けれど、そんな状況でも、著者は少しずつ、武力では何も解決できないという考え方に変わっていったそうだ。2003年4月にバグダッドが陥落した頃には怒りと報復の気持ちでいっぱいだったし、ときには非暴力で何ができるのかと迷うこともあった。でも彼は「僕は、暴力を拒絶し、平和を選ぶ」と言っている。翻訳者の一人である高遠さんは、あまりにも理不尽なことが多いから葛藤はあるだろうと言う。けれど、広島へ行ったときには「イラクの新憲法にも9条のようなものを入れたらよかったのに」と言っていたそうだ(そのときにはもう新憲法は制定されてしまっていたけれど)。そうして平和のために活動を続ける著者は本当に勇気ある人だと思う。
そんな著者の言葉で印象に残っているのは、

僕の両手はいつも「平和」にしておかなければならない。

というもの。人々を支援するために両手を空けておかなければならない、手も心も、銃で多忙にしておくべきではない、というのだ。
頭で考えているだけではなく、平和のために、人々の役に立つために、行動しようという気持ちが伝わってくる言葉だ。
モモちゃんの問いかけ、願いに応えるのは簡単なことではないけれど、私も心と両手を平和にしておいて、何ができるか考えよう。
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by roki204 | 2008-10-05 00:34 | 本や映画

こども2号の手紙

週末から風邪をひいて寝込んでいたら、こども1号と2号が何通も手紙を書いてくれた。「まま、はやくげんきになってね」、「まま、はやくなおるといいね」などなど。おかげさまで元気になったと思ったら、今度は2号が風邪をひき、熱を出した。
当然、保育園は休まなくちゃならないが、熱があると言っても今日は少し下がっていたこともあって、朝から元気に遊んでいた2号。まだ治ってないんだからもう少し静かにしていなさいと言ったって、聞きゃしない。何のために休んだんだか・・・と思っていたら、2号が手紙をくれた。

2号ちゃん かぜひいているのに だれもてがみくれないね
ままわ かみもてないから いいよ

まあ、そんだけ元気だったら「元気になってね」という手紙はもらえないんじゃないかと思うが、ちょっとかわいそうだったかな。それに、そんなときでも「ママは紙を持ってないからいいよ」と、いつもどおりママには甘いところがかわいい。
で、結局、今日はあげられなかったので、2号が眠ってから書いた。かわいい紙は持ってないから保育園からのお便りの裏に書いちゃったんだけど、明日の朝渡したら、喜んでくれるかな。
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by roki204 | 2008-10-03 01:19 | こども2号

百姓のすすめ

こども2号が風邪で保育園を休まなくてはならなかった今日、ばあば・じいじも用事があって出かけるので、私が仕事を休んだ。3号もついでに休ませ(ついでと思っていたら、後で熱が出てきたので休ませて正解)、1号は学校、夫は仕事。朝10時のお茶は、ひいおばあちゃんと2号と3号と私の4人で、となった。

話題はいつのまにか畑のことに。おばあちゃんはいろんなことを教えてくれた。あれをやるといい、これもおいしいですよ、堆肥も入れなきゃならないから裏にあるのは好きに使っていいですから・・・。庭の落ち葉を集めて堆肥を作るやり方もちょっとだけ教えてもらった。
おばあちゃん一番のおススメは、タクアン大根。自分で作った大根でタクアンを漬けると本当においしいんですよと言って、漬け方も教えてくれると言う。
それから、味噌。はじめ私は、大豆を煮てつぶして・・・ということかと思って聞いていたのだが、
「大豆から作るんですよ!」
と言うのでびっくり。そういえば、タクアン大根も二段階手作りだ。う~ん、おばあちゃん、それは初心者にはレベルが高そうですぜ。
それでもやってみたいと思えるのは、おばあちゃんが「百姓はいいですよ。できたときには本当に嬉しいもんですから。ぜひやってごらんなさい」と、ほんとに楽しそうに話すからだ。
おばあちゃんは、今は亡きおじいちゃんと何もわからないところから始めて、近所の人たちに教わりながら、畑仕事をやってきた。苦労も多かっただろうが、きっと楽しかったんだろう。だから私にも勧めてくれるのだろう。そう思うと、なんだか嬉しい。

ちなみに、おばあちゃんは夫には全然期待していない。「あの子はやらないでしょう」と。夫にそのことを話すと、まあそうだろうなと苦笑い。その後、ちょっと真剣な顔で
「タクアンは食べたいな。おばあちゃんにちゃんと教わって、タクアン大根作ってよ」
やっぱり自分では全然やる気がないのだった。
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by roki204 | 2008-10-03 01:17 |