こどもたちはスルメが好き。こういう硬いものをよく噛んで食べればあごが丈夫になっていいだろうと義母が買ってくれたものだ。夫がビールのおつまみに食べていると、こどもたちもすぐに「ちょうだい!」と来る。そうすると、私はついつい言ってしまう。「あんまり食べ過ぎちゃいけないよ。おなかが痛くなっちゃうよ」。
「スルメを食べ過ぎると、おなかの中で膨張して胃に穴が開いちゃうから気をつけなくちゃいけない」というのは、おつまみにスルメがあるお酒の席でよく出る話。干したものだから、水分を吸って多少は膨らむのだろうけれど、胃に穴が開くというのは大げさで、普通の食べ方をしていれば有り得ないことだから、単なる笑い話だ。でも、ある本に出てきた黒パンの話を読んでから、笑えなくなってしまった。その本は『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(辺見じゅん著)。 友達が自分のおじさんも出てくるのだと言って勧めてくれたこの本は、シベリアのラーゲリで亡くなったある人の遺書が、どのようにして遺族に届けられたのかということが書かれている。ラーゲリでは文字を書き残すことはスパイ行為と見做され、抜き打ちの持ち物検査で日記やメモが見つかると、没収され処罰されたそうだ。特に帰還前の検査は厳重で、日本へ持ち帰ることは至難の業だったので、その遺書は仲間たちが分担して暗記し、一字一句もらさぬようにして家族に伝えたのだ。 ラーゲリでの生活がどんなだったかということも書かれているのだが、その中で黒パンの話があった。ザラザラした舌触りと独特の酸っぱい味が初めは異様に感じられたのに、食事が乏しくいつも空腹だったので、そのうちに黒パンがこの世でいちばんうまいものと感じられるようになる。わずかな黒パンをめぐっての怒鳴りあい、つかみ合いのケンカはよくあることだった。そして、ある人は炊事場からこっそり黒パンを一本盗み、夜中に夢中でおなかに詰め込んで水を飲んだ途端、胃の中でパンが急激に膨張し、もがき苦しんで亡くなったそうだ。それを知った仲間たちが、気の毒に思うよりも、「腹いっぱい食べて死んだんだから本望だっただろうな」と羨ましがったということが、どれだけ悲惨な状況だったかを物語っている。 四通の遺書を暗記して家族に届けてほしいと頼まれた人が、その願いをなんとか実現させたいと思ったのは、それが個人の遺書ではない、ラーゲリで空しく死んだ人々全員が祖国の日本人すべてに宛てた遺書なのだ、と思ったからだそうだ。 スルメをかじりながら空しく死んだ人々を思うというのも、なんだか失礼なことのようではあるけれど、「食べ過ぎちゃいけないよ」などとのんきなことを言っていられるということが誰にとっても当たり前のことなんかではなく、とても恵まれた環境に自分たちはおかれているのだということを忘れずにいたい。そして、もう少し大きくなったらこどもたちにも「食べ過ぎちゃいけない」だけでなく、戦争で苦しめられた人たち、今も苦しんでいる人たちががいるということや、少し話を広げて飢餓で苦しむ人たちがいるということなども話していきたいと思う。
by roki204
| 2006-10-17 11:08
| 本や映画
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